1981年 「夏」 広島
- 2017/8/29
- コラム
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故郷の商店街では、夏のゆかた祭りが終わり、盛夏から晩夏へ移り行く季節となるのだろう。
夏はどこの地域でも「花火」「露店」「灯ろう」「浴衣」「盆踊り」などのキーワードで夏祭りが行われる。
私の故郷でも、「大」がつく「花火大会」がある。
県内外から見物客も多く、夏の一大イベントだ。
やれ数十万人の見物客が来ただの、4尺玉の競演だのと騒ぎ立てる。
中には企業協賛をもらい企業のイメージを花火に託し騒いでいる。
また、夏には「お盆」があり、帰省した人で故郷が賑わうことが多い。
私も学生時代、故郷へ帰省すると「墓参り」に行った。
私が大学生になる前に亡くなった「父」の墓参りだ。
線香と柄杓、バケツと花を数輪もち、坂を登って10分ぐらいのところが墓だ。
線香をあげ、拝む。それだけだ。
時々、墓の裏に回った。
自由律俳句の鬼才、尾崎放哉の「墓のうらに回る」を好きだったからだ。
また日本の夏には特別な日がある。
8月15日だ。
太平洋戦争終戦の日。敗戦の日だ。
終戦からすでに72年が過ぎた。
毎年夏になると、戦争の悲惨さを伝えるマスコミの報道がある。
また戦争体験世代が歳を取りもう15年もすると、戦争体験世代がいなくなるのだろう。
8月15日の前には「広島」「長崎」の原爆の日がる。
原爆を題材とした、絵・本・映画などなどは数えきれないほどある。
後世に伝えるべきことだ。
学生の時、井伏鱒二の「黒い雨」大江健三郎の「ヒロシマノート」
写真家土門拳の「ヒロシマ」などを読んだり、見たりしていた。
1981年夏前に1冊の本を読んだ。
原民喜の「夏の花」という被爆した作者の短編と言ってもいい作品だった。
内容は批判を受けることを覚悟して言うと、
実に坦々とした、声高に響くわけでもない
静かな物語である。
今まで戦争はいけないと強く主張する作品が多かった中、原民喜の「夏の花」は静かでしかも美しくさえある文体なのだ。
原民喜は小説の他に、詩や散文なども書いている。
そして1951年、自ら死を選んだ。
現在では、原民喜の作品を読む人は少ないだろう。
私の「夏」の微かな希望は若い人に是非、この希代の作家の代表作である「夏の花」
を読んでもらいたい。
「夏の花」を読んだ1981年、8月 私は広島にいた。
1951年から30年が経っていた。