1980年 盛夏から晩夏へ

1980年の夏も暑かった。
前期の試験(厳密にはレポート)が終わり夏休みはバイトに明け暮れた。

しかし夏の暑さも不思議なもので9月の声を聞くと気候と同様落ち着き始める。
もし日本に四季がなかったらどうなるのだろう。

日本人の文化も習慣も全てのものが違っていただろ。

四季が唄を生み、伝統文化を育んだ。

和辻哲郎の「風土」を読んだとき、内容を頭で理解しようとした。

理解できないのだ。

風土

しかし日々の暮らしの中で考えると合点がいくのだ。

そうだ、ない頭より日常の中に真実があるなどと大げさなことを考えた。

1980年の9月に入り、後期開始まではあと15日ほどある。

私は下宿で帰ってこない下宿の先輩達を待っていた。

そのうち一人、また一人と下宿に帰ってきた。

9月も20日を過ぎても○○大学のSさん(私ではない)が下宿に帰ってこない。

携帯もない時代だし、Sさんの実家の電話番号など知らない。
そのうち同じ大学のS“さん(Sさんが多いのでS”さんとしよう)が言った。

Sはさあ、東京にいるらしいがどうも同棲をしているらしい。
「有名女子大のお嬢様らしぞ」とS“さんが言う。

「ほー」私はため息をついた。

上村一夫の「同棲時代」と言う劇画が流行って数年は立っていたが、神田川などのフォークソングにも
同棲がテーマの唄が多くあった。

同棲
やはり劇画や唄の世界の話しではなく現実にあることに驚いた。
「Sさんやりますね」と言うと、4年生のS”さんは「いい経験じゃないか」と言う。
そして10月に入りSさんが下宿に帰ってきた。

「S、お前頬が扱けてるぞ」とS”さんが言う。
Sさんは少しはにかんで、シャツやズボンなどを紙袋に入れるとどこかに帰っていった。

同じ大学の先輩にあたるS”さんがSさんのその後を聞いてきたらしく詳しく話してくれた。
同棲相手は日本の大都市N市のお医者さんのお嬢さんらしい。

ご両親は当然、お医者様とお付き合いをして欲しいはずだ。

しかしSさんとそのお嬢様は相思相愛らしい。

その後2人はどうなったかは、誰も知らない。

しかしSさんはその年の冬には高円寺の下宿に帰ってきた。

少し寂しそうだった。

下宿のメンバーもそのことには触れず今までと同じような生活を送った。

S“さんは4年生でT県の実家に帰り実家の家業を継ぐことになった。

六本木のジャズ喫茶でジャズピアノを弾いてバイトをしていた、田舎者の私から見れば

ナウイ(この言葉も今では使われない)人だった。

jyazu

Sさんは1年後故郷のA県に帰り小さな町の役場の職員となった。

Sさんも今は定年前のおやじだろう。

しかしSさんも、S”さんも、私も、当時は若かった。当然だ。しかし・・・・・

高円寺の下宿は5人の下宿人がいて、大家さんもいい人で楽しかった。

また学生生活も楽しかった。
しかし3年を前に私は少しづつこのままでいいのかと考え始めた。

この居心地のよさが本当にいいことか?

考えるようになった。
真夏が過ぎ早い東京の秋が近づきつつあった。

9月のある土曜日、幼馴染の超お嬢様大学のKさんとまた吉祥寺で待ち合わせた。

バイトでお金があったので当時出来立てのシェイキーズのピザの食べ放題に行こうと誘った。

いつもは松屋の牛丼(並180円)が定番だったが。

「S君、大丈夫なの?」とよく食べるKさんは聞いた。

「大丈夫だ、労働者に任せておけ」と故郷の大きなホテルの和食のT君が言ったように言った。

吉祥寺のごちゃごちゃした場所を抜けるとおしゃれな通りがありシェイキーズはそこのビルの2階にあった。

土曜の午後4時からは1人800円で食べ放題の時間になるのだ。

piza

学生のグループが多く焼き立てのピザが出てくると瞬く間に無くなった。

みんな食べる、食べる。

私は実は、東京の大学(間違っても東京大学ではない)に行くまでは故郷で「クレープ」なるものを食べたことがなかった。

初めて「クレープ」を食べたのは、吉祥寺の井之頭公園に行くおしゃれな小道にある店だった。

「クレープ」なるものを初めて食べた。
クレープしかも歩きながら食べる。
これだけでおしゃれだと思った。
東京だと思った。

どうも食べ物のことしか記憶にない。

シェイキーズは1975年ごろ日本に上陸したと記憶している。

ピザは現在では宅配や冷凍もあり普通の食べ物だが、1980年の私にはとにかくおしゃれだった。

Kさんはいつものようによく食べた。
お嬢様大学のお嬢様だが、ピザ焼きの機械からピザが運ばれるとすぐ席を立ちテーブルまで運んでくれた。

そして食べた。

タバスコ

私はタバスコなる調味料もあまり馴染みがなく、タバスコを普通にピザにふりかけるKさんが大人に見えた。

たらふく食べて、話した。

「Kさん、将来はどうするの?」「就職とか?」と聞いた。

「永久就職しようかな」とKさんは答えた。

私はそれ以上聞かなかった。

いつものように吉祥寺が始発のバスでKさんは帰った。

バス

来年卒業のKさんと3年になる私。

2年しか違わないが、いや2年も違うと感じた。

私は3年の春から吉祥寺の安アパートで1人住まいをすることになる。

高円寺での下宿生活もあと半年あまり。

高円寺から吉祥寺へ・・・

自分でも変わろうとしていた。

1980年の秋を迎える。
aki

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