1981年 冬 東京・吉祥寺 木造アパートの一室は寒かった!

大学3年になる前に、高円寺の下宿から吉祥寺に引っ越した。

吉田拓郎の名曲「高円寺」が好きで高円寺に住んで2年が過ぎようとしていた。

吉祥寺は斉藤哲夫の名曲「吉祥寺」が好きだったからとは齢還暦の今でもそう言っているし

事実だ。

木造の四畳半のアパートの一室だが、自分の室が持ててそれなりに嬉しかった。

なにせ自分のガスコンロがあり気兼ねなく自炊ができた。

暖房は炬燵だけだが、冷蔵庫の中古も買ったので食糧品を保存できた。

室代が9,000円から20,000円に上がったので、基本自炊をした。

故郷の母からは仕送りが5,000円増えて、1か月55,000円になった。

三井銀行の口座に決まって、毎月25日に振り込まれた。

いや振り込んでもらっていた。

東京の武蔵野の面影を残す、吉祥寺のはしにある古アパートはしかし寒かった。

南国育ちの私は今でも寒さにからっきし弱い。

今は妻と故郷の賃貸マンションに住んでいる。

最新式のバス、乾燥機など古アパートとは全く違う設備があり、鉄筋のマンションの為

冬でも寒くないのだ。

40年の前の話しなのでそうかもしれないがよくもまあ、あの寒さに耐えられたものだ。

若かったのだろう。

3年を前に進むべき進路やゼミを決めないといけないのだが、どうもどうしたいのか、

どうすべきなのかわからなかった。

私は事情があり2年遅れて大学に入学しているので、ストレートで大学に入学した故郷の友人達は

それぞれの進路(就職・大学院)に進んで行く。

少しではあるが取り残された気分だった。

友人のH君は故郷に帰り家業を継いだ。

Y君は大手衣料品チェーンに就職した。

Kさんは出版会社。故郷の県庁にも数名就職した。

高円寺の下宿の先輩は政府系大手金融機関で忙しく働いている。

みな現在進行形だが、私だけ吉祥寺の古アパートの1室で現在形だ。

当時は本をよく読んだ。

パソコンもインターネットもない時代なので「本」はよく読んだ。

古本屋にもよく通った。

その古本屋で北杜夫さんの長編小説「楡家の人びと」を買って読んだ。

当時の人気作家である「北杜夫」さんと「遠藤周作」さんの対談などが週刊誌などをにぎわせていた。

両作家ともユーモアに溢れた小説や随筆を多く書いていた。

このコラムでも書いたが、「原民喜」さんの名作「夏の花」は遠藤周作さんの随筆で知った。

遠藤周作さんはユーモアある作品も多いが「沈黙」など多くの名作を残した昭和の名作家だ。

私はどちらかというと「北杜夫」さんの小説を好んで読んだ。

「ドクトルまんぼうシリーズ」に代表される作品は多くの方がお読みだと思う。

しかしドクトルマンボウ航海記などを読みながらも、

北杜夫さんの純文学作品も多く読んだ。

初期の短編「幽霊」は特に気に入った作品だ。

題名が「幽霊」だけに怪奇小説とお思いかもしれないがそうではない。

「人はなぜ追憶を語るのだろう」で始まる純文学作品だ。

是非、一度お読み頂きたい作品だ。

古本屋で買った「楡家の人びと」は長編だが、1週間で読み終えた。

1つの家族が戦争に翻弄されながらも生きていく内容で、本の推薦分を「三島由紀夫」さんが書いたことでも有名になった。

北杜夫さんの父は大正から昭和にかけての大歌人「斉藤茂吉」だ。

吉祥寺の古アパートは寒かったが、本を読むにはいい場所だ。

よく公園などで本を読んでいる人がいるが、私には出来ない。

自分が本を読む姿を人に見られることは出来ない。

今は便利な時代で、スマフォで文学作品が読める。

「Kindle」と言うアプリで読んでいる。

このように古アパートの生活が続き、本を読む時間が増えた。

経営学部ではあるが、経営の本などはほとんど読んでいない。

時間がたっぷりあったあの時期にやはり勉強すべきだったとは後の祭りだ。

1982年に春が来ようとしていた。

 

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