1981年が始まった、高円寺から吉祥寺へ

1981年が始まった。

1980年の暮れから1981年の正月にかけて、私は帰郷せず、東京高円寺の下宿にいた。

その下宿の私のテレビは富山県庁に就職したAさんにもらったものだった。

正月「箱根駅伝」などを見て過ごした。

現在、「箱根駅伝」は正月の国民的行事となり、TV局が放映権をとる為に相当なお金がいる

スポーツの世界では日本でも指折りの行事となっている。

確かに東京の中心街から湘南の海を片側に見ながら、最後は天下の剣「箱根」を駆け上がる。

そして2日目は箱根を下り、東京大手町のゴールを目指す。

多くの大学が箱根駅伝に出場したいが、前年10位以内にシード権があり、

あとの10校は予選会で10位以内の大学だけが出られる。

またこの予選会は本選にも増して面白い。

とにかく2日間にわたりTVが先頭を中心に追かけ、壮絶なドラマが繰り広げられる。

私はかなりスポーツを見るのが好きだが「箱根駅伝」はその中でベスト3に入るだろう。

当時、母校は当たり前のように箱根駅伝に出ていた。

優勝とかはしないのだが、10位以内には入り翌年のシード権を取っていた。

1980年当時は伝統のC大学、W大学、J大学、新進気鋭のK大学、などが優勝を争っていた。

駅伝という、日本が生んだ競技は「伝統の襷をつなぐ」という信条と相まって日本人の心を打つのであろう。

現在は私の故郷でも、駅伝やマラソンがあり大いに盛り上がる。

東京マラソンは走るコースも素晴らしい。


マラソンは参加するのも応援するのも面白い。

炬燵の中からTVを見て過ごした1981年の正月。

その後社会人となってからは、小売り業にいた為、正月もなくまともに「箱根駅伝」を見ることはなくなった。

しかしここ数年見ている。私が学生のころA学院が優勝するなど考えられなかった。

また2017年は伝統校C大学が箱根駅伝に出られなかった。

OBをはじめ相当悔しい思いをしたであろう。

しかしC大学がまた箱根に帰り、往年の走りを見せてくれることを願っている。

さて、新年を東京で過ごした私は引っ越しを考えていた。

下宿の仲間といることは心地良かったし、下宿のおばさんもいい人で居心地が良かった。

しかし居心地がいいことは、本当にいいことなのかと考えた。

私の先輩で労働問題のゼミにいる人が山谷で1か月働いたことを話した。

高度経済成長期の日本の成長を陰で支えていた、労働者の街だ。

岡林信康の「山谷ブルース」などは聞いていたが、本当の労働現場を聞くのは初めてだった。

その先輩は労働問題の研究者として現在も母校で教鞭をとっている。

現在のブラック企業よろしく大変な労働環境だった。

1980年代前半と言えば、バブル経済のまだ前で、そう景気のいい時期ではなかった。

その中できつい仕事を日雇いでやり、簡易宿泊所で寝泊まりする、労働者がいた。

私はマルクス経済を由としないし、戦後の日本経済の舵取りは間違っていなかったとの立場だ。

労働者もそれなりに豊かになり、日本は世界にかんたる経済大国となった。

しかしいつの時代でもその陰で忘れ去られる人々がいる。

私のつまらない経済の話しはまた機会を変え書こうと思う。

その市井の人々が唄を詠み、詩をつむぐ。

高円寺・吉祥寺。

私は1981年春、吉祥寺に住むことになる。

斉藤哲夫の名曲「吉祥寺」が好きだったからだ。

 

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