1980年 故郷で初日の出を拝んだ・・・

年が明け1980年の1月、私は相変わらず故郷のホテルでバイトをしていた。

年中無休、24時間営業は今ではコンビニの専売特許だが、当時はそれほどコンビニもなく

ホテルがその代表だった。

1979年の12月31日、夜までバイトをしてその日は午後6時には家に帰っていた。

紅白を見て、またホテルへ戻った。

ホテルで年を越して私にとっては激動の1980年代を迎えた。

いや学生の激動など社会人に比べればなんのことはないことは後になって知ったのだが。

初日の出はホテルの従業員の人と見た。

近くに、活火山を見る展望台がありそこで震えながら初日の出を拝んだ。

初詣・初日の出・初仕事と毎日あることなのに、正月は特別になる。

桜島

不思議だがしかし「お正月こそ日本人」なのだろう。

私も自然と受け入れられる。アイアムニッポンジンなのだ。

そのころから富裕層の中ではホテルで年末・年始を過ごすことが一般的になりつつあったのだろう。

正月はホテルの喫茶部で働いた。

朝眺めのいい素敵な場所で優雅にコーヒーを飲み時間を過ごす。

いいことだ。

和食のT君はおせち料理で徹夜をしている。眠そうな目をしているが、仕事は次から次へあるようで少し元気がなく見えた。

喫茶部でこんなことがあった、上品で気品があり身なりもいい老夫婦が喫茶に来られた。

さぞお金持ちなんだろうと思いオーダーを取りに行った。

コーヒー

「私はブラックでいいが、妻はコーヒーが飲めないのでお茶をもらえないだろうか」

と老紳士が言った。

私は「かしこまりました、少々お待ち下さいませ」と紋切型の接客をした。

それが精一杯だった。

喫茶部の厨房に戻り「お茶の注文です」と言うと、「番茶しかない、和食に行っていいお茶を入れてきてくれ」と頼まれた。

私は一番離れた和食の厨房に行きお願いしようとしたが、朝食の準備が終わり誰もいない。

困って和食の休憩所を見るとT君が仕事着のまま寝ている。

私は仕方なくT君を起こした。

「ごめん、喫茶部でいいお茶のオーダーがあり和食にお願いに来たんだ」と言って

お願いをした。

T君はすぐ起きて手際よく、いい煎茶を入れてくれた。また急須まで貸してくれた。

お茶

御代わりがあるといけないと思ったのだろう。

相変わらず無口のT君だが煎茶を入れるだけだが、プロに見えた。

いやプロに少しづつではあるが近づいているように見えた。

私は喫茶に戻り、そのお客様に煎茶をお出しした。

もちろん洋式の喫茶なのでメニューには煎茶はない。

その後、私は他のお客様の接客に忙しくなった。

どのくらい経ったのだろう、さっきのお客様が煎茶のおかわりをお願いした。

T君から和食のいい急須を借りていたので、すぐそのオーダーにこたえられた。

その後老夫婦はお会計に来られた。

喫茶の主任は当然コーヒー代金しか受け取らない旨を伝えた。

老夫婦はその後お礼をいい喫茶を離れた。

私は主任からフロントに行く用事を言われる。

すぐフロントへ急いだ。

その時だ。先程の老夫婦に呼び止められた。「正月の仕事、頑張るね」を言われた。

私はまた「先ほどは有難うございました」と紋切型のお礼を述べた。

私がフロントに行こうとしたとき、「これを」と言われ紙を渡された。

「いいから」と言って老夫婦はエレベーターの方へ歩いて行かれる。

私はフロントに頼まれた用事があり紙をつかんだままフロントで用事をすませ喫茶部に戻った。

主任に「これともらいました」と言って紙を渡した瞬間、1万円札が2枚紙から出てきた。

所謂、チップなのだ。私は驚いた。2万円である。当時私の時給は340円1日働いて3,400円。

驚いた。

主任いわくこれはメニューにない煎茶を入れてあげたお礼だろうといい有難く頂こうと言った。

誤解がないように言うが当時はこれで良かった。(今は会社としてそれなりの決まりがあるのだろう)

しかし。煎茶を入れただけで2万円である。喫茶部のメンバーで分け、私も3,500円頂いた。

その夜、帰りがけに和食のT君をいつものラーメン屋に誘い、食べながら事の顛末を話した。

「そう」T君はそれだけ言い、いつもより早くラーメンを食べた。

はしゃいでいるのは大学生でしかも勉強をしない私だけだ。

どことなくT君とぎこちない話しをして、別れた。

暗い夜道をT君はいつものようにゆっくり歩いた。

後から考えるとそのラーメンはいつもより美味くない感じがした。

私は歩きながら考えた。老夫婦とT君。

大学でマル経の教授と近経の教授がお互いの主張を繰り広げるが、T君にはなんの説得力もない。

そこで声高に主張することなくもくもくと働くT君こそが・・・・・

自堕落な私には言えた義理ではない。

もう40年も前になるが、今でもT君は私より5歳年下だ。

T君と会いたいがホテルを辞めた後はいまだにわからない。

T君がボブディランに見えるのは私だけだろうか。

1980年がはじまった。

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